焦ったら負けかなと思ってる。。

どうしても、あれもこれもしたくなる。。

何でもかんでも、挑戦したくなる。

どんなことも、やれば出来ると思ってしまう。

しかし、それは幻想だ。

メンタル・フィジカル的な強さ次第の事で、それによって個々の限界点は異なる。

座禅や瞑想、筋トレは有益だ。

しかし、それでは越えられない人々がいる。

そう、モンスター級の人々がいるのだ。

そういう人々は、見た目などに関係なく、根本力がハンパない。

生まれ持ってエネルギッシュなのだ。

東大生は、みんな筋骨隆々で、シャープな顔つきの人ばかりではない。

東大に受かるには、地頭だけではなく、凄まじい根気や意思の力が必要(だと確信している)。

如何に、東大に入りたい、弁護士になりたい、会計士になりたいなどと思っても、根本力がない人には無理なのだと思う。

自分の希望が分不相応過ぎると、自身の根本力とのギャップで、日々不満たらたらな人生を過ごし、不幸になるだけだ。

では、どうするか?

自分の根本力を、曇りなき眼で見つめ直し、理解することだ。

背伸びし過ぎない事だ。

東大生は、おそらく1日10時間以上、長期間勉強し続けるだろう。

私は、そんな化け物たちに張り合う程、愚かではない。

私の集中力は、根本力はそんなに強くない。

元々、幼少の頃は病気がちで、両親には心配かけ通しだった。

今は、週3~5日、出勤前にジムが用をして、そこそこガタイが良い。

でも、根本力とは又違う気がする。

(でも筋トレしてないと、もっと弱者なのは間違いない)

以前は、兎に角隙間時間を作らないように、常に何か有益な事をし続けようとしてきたが、意味がないので止めている。

性急に成果を求めずに、どうやったら自分が楽しめるかを考え、結果がでなくてもケセラセラ。

休み休みで良い。

余裕を持って、一つづつ、ゆっくり生きていこうと思ってる。

先々の為に、今を犠牲にするのは愚かすぎる。

今の瞬間瞬間も大切な人生の一コマなんだ。

あれもこれもしたい、成し遂げたいともがく心は修羅のそれだ。

ゆったりと、脱力して、自然体で生きる方が良い。

ゆったり出来ていないと狭量・狷介・傲慢になり、幸福感は全くない。

老子は偉大だ。

仏陀は偉大だ。

人生は、生きているだけで素晴らしく甘美なものなのである。

 

・・・と、ここまでご立派な事を書いてきて?、オチのようなのだが、要は、生活保護は素晴らしいという事を言いたい。

労働から解放される、一番健康的で手っ取り早い方法だ。

生活保護受給YOUTUBERのシロズミの動画を見ていると、まさしく言いたい放題、堂々としている。

しかも、生活保護支給額からコツコツ貯金している模様(100万円越え)で、自制心があり、クレバーだ。

(矛盾するようだが、私はシロズミをどちらかというと嫌ってる)

私は、幸い技術職の端くれで、仮に今の職場を辞めて、何かにチャレンジして、夢破れても、比較的再就職はおそらく可能だ。

だから、退職して2年ほど職業訓練を失業給付を受けながら受講。

おそらく18万円強の給付額なので(無税)、切り詰めればある程度貯金出来る。

基本、介護福祉士を取得できるコースを考えているのは、一回の夜勤で比較的高収入で、

最低限度額を稼ぐのに、週二回位の勤務で済みそう、との思惑から。

後は、貯金を取り崩しつつ(週1,2回のバイトである程度減りを遅くして)、その間のんびり何かしらの収入源を構築しつつ、それが間に合わずに貯金が激減した段階で、生活保護申請すればいいかな?という計画。

これらの期間、根本力に乏しい私でも生活保護受給中期間も合わせた膨大な自由時間を利用すれば、さすがにどうにか出来そうな気がする。。

命は有限だ。

時の流れは早い。

何時、退縮の意思表示をするか、ゆったりと、自然体で構えていれば、運命は動く気がしている今日この頃。。。

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